「放送禁止歌」
このシングル「放送禁止歌」に収録された3曲の楽曲は5thアルバム「残照」からのシングル・カットではなく、歌詞の一部に放送禁止用語が含まれていたためにやむなく自主制作(インディーズ)扱いで発表したものだ。アルバム・ヴァージョンには修正が施されているがこちらは無修正版。汚いものにはふたをせよ、というこの国の風潮と規制に対し、この誇らしげな「アジアの汗」の力強さはないだろう。生き生きとしたストリート・ミュージックのような佇まいが明るく地面を揺らし、光を照らす。サビでリズムが変わった瞬間に高らかで誇らしげな彼女の歌が至福の時を与えてくれる。もう一方の「家なき人」に至っては、もはや寺尾紗穂が奏でるソウルミュージックのよう。彼女は70年代のアーティストではなく、今を生きる稀有なシンガーだということを証明しているナンバー。バンドサウンドと絡む躍動したピアノがあまりに素晴らしい。アルバム未収録の「竹田の子守唄」は赤い鳥のカバーでゆったりとしたリズムの中、アコーディオンが物憂げに響く。
放送禁止2 ある呪われた大家族 [DVD]
リアルタイムで視聴した時は素でビビリました。マジっスか?と
あの頃は若かったなぁ純粋だったなぁ
が、しかし冷静に見直してみると「あぁ〜なるほどそぉゆう事か。」と…。うわっやられた。と思いました。そもそも…あんな大家族の家計をパートだけで支えられるわけないわな。
心霊写真はアンビリバボーで使われた本物です。罰当たりな…制作スタッフつながりで使用したんでしょうが、それはやめた方がいいんじゃないか?
ノスタルジア~ヨイトマケの唄
一世風靡したカウンター・テナーの美声を聴くことは適わないですが、地声とフルセットを巧みに駆使しながら、歌心を精一杯表現している米良美一がここにいました。
声楽家にとって声が出ない苦しさはいかばかりだったでしょうか。スキャンダルもまた彼を苦しめました。その逆境をはねのけ、どん底から這い上がってきた米良美一ですから、凡庸な曲など一つもありません。選曲が凝っていますし、一筋縄ではいかない曲を、「こう歌いたい」という熱いハートで見事に歌い回しています。
クルト・ワイルの「ユーカリ」も良かったですが、ベルトルト・ブレヒト詩の「スラバヤ・ジョニー」は、米良美一の新境地が如実に表れていました。プロの声楽家は蘇ったのです。声に頼ることなく、類まれなる表現力を身につけて不死鳥のように・・・。
リーフレットの湯川れい子さんの気持ちのこもった文章もその通りだと思いました。
現代日本の最高の詩人・谷川俊太郎作詞と武満徹の生みだした「死んだ男の残したものは」「うたうだけ」「ぽつねん」の3曲もいいですね。前の2曲はカウンター・テナーの唱法ではなく、地声とでも言うベき、ハイ・バリトンの声を使用して歌いきっています。歌は気持ちで歌うものという境地でしょう。
「ぽつねん」のおばあさんの心情を歌いあげた表現力には心を打たれます。山田武彦のハーモニカの伴奏と米良美一の歌唱によるアンサンブルは声楽家によって歌の印象がこれだけ変わるのだということを示した一例でしょうか。
ラストの「ヨイトマケの唄」は、数年前偶然見たNHKの番組での素晴らしい歌唱との再会でした。テレビを通して気持ちのこもった歌に感銘を受けたわけですが、このCDでもその印象は変わりません。美輪明宏の歌が耳に残っている世代ですが、甲乙付け難い表現力を聴かせてくれました。
辛酸を舐めた者のもつ凄みを身につけて米良美一は再び名歌手としての道を歩もうとしています。世界が絶賛したカウンター・テナーの美声とは違う人の心をつかむ歌唱法を磨きあげてこれからどのようなステージに立つのでしょうか。
妖怪人間ベム 初回放送('68年)オリジナル版 DVD-BOX<通常版>
妖しい魅力のある画風、時代も国籍も判らない異境の地、そこで繰り広げられる怪奇な現象、ぽっかりと開いた異次元空間。
幼い頃に見た懐かしい記憶に加えて、日常を忘れさせてくれる怪奇幻想浪漫に酔いました。
十二階しかないビルに謎の十三階が出現したり、地下水道の中に無気味な古寺があったり、廃墟の町に死者の国へ続く門が聳えていたり……。
まさに“怖い物見たさ”の典型です。
そして、そこで味わう恐怖の体験は、非常に生々しく具体的です。
不運を嘆く恨み言が封じ込められた鏡、女囚の怨念が宿ったカツラ、芸術に取り憑かれた悪魔が造る死体入りの彫刻など、ぞっとする中に、しっかりと人間の“業(ごう)”が描かれていて、胸に迫って来るものがあります。
さらに、ベム、ベラ、ベロの、人間よりも人間らしい心と、人間には理解されない“妖怪人間”としての苦悩が、物語世界に深みを与えています。
大人になって改めて鑑賞し、素晴らしい“怖さ”を堪能しました。放送禁止用語等のノーカット版の発売、ほんとにありがたく嬉しい限りです。