剣嵐の大地 (上) 〈氷と炎の歌 3〉(ハヤカワ文庫SF1876)
前巻のついに彼らまでが退場か!という展開の衝撃が冷めやらぬまま、引き続き、息もつかせぬ怒涛の新展開が盛り沢山の巻です。
やはり、この氷と炎の歌の世界の運命の神は、生前の行いの内容如何に関係なく、誰にでも等しく死や破滅をもたらすのだなあと感慨を深くしつつ。それまでの私にとっては、リトルフィンガーことピーター・ベーリッシュって、それまでは単に全く腹が読めなくて、これも腹黒さではひけを取らない、ティリオンとも丁々発止に渡り合える、得体の知れない、どこか不気味な人物という印象しかなかったのですが。しかし、物語の後々にも影響を及ぼしていくことになる、若い頃のケイトリンとの経緯を知ってから、一気に興味深く、かつどこか好きだと思ってしまうキャラの一人になってしまいました。まるでストーカーじゃんとかと、おそらく、よけいに引く人達もいるでしょうが。
でも私は結構弱いんですよね、一見世渡り上手の、けして自分の腹の内は誰にも開かさず、何事にも冷めた感じのシニカルなリアリストに
見えていて、実は意外と激しい情熱とか執着とか、その胸の裡にアンバランスな、いろいろなドロドロした情念を巧みに包み隠している、彼のようなキャラって。ケイトリンの言葉によると、昔はもっと情熱的かつ大胆で、なかなか活発な性格であったようですし。そしてこういう重層的で一筋縄ではいかない感じの人物造型も、この氷と炎の歌シリーズの魅力の一つだと思います。それにケイトリンの方も、口では既に当時エダードの兄ブランドンという婚約者もおり、またおそらく自分とは全然身分も釣り合わないし、そんな彼にこんな激しい想いを寄せられても困るわといいつつ、実際には彼女も満更でもなかったようで、いつも甘やかな、そして微かに心痛む感傷的な思い出として回想しているようだし。確かに、例え自分が愛している男性ではなくても、自分への愛のために、誰かが命懸けで戦ってくれるって、その男性がよほど不快な人物でもない限り、女性にとってはロマンだし、憧れるシチュエーションだと思うので。しかしこのように、彼女にとっては、彼とのことは娘時代の、甘く切なくほろ苦い思い出に過ぎなかったのでしょうが、おそらく、リトルフィンガーはブランドンとのあの命がけの決闘後、ホスター公父娘からすげなくされ、単に恋に敗れただけではなく、更に否応なく、厳しい現実にも直面させられたのでしょうね。幼い頃から養育先で、それこそ、実の姉弟同然に、ホスター公の美人姉妹と仲良くさせてもらってきたのに、ケイトリンへの求婚という、おそらく小領主の息子の、弁えるべき分際を踏み越えようとしてしまった途端、彼女のための決闘で大怪我を負っても、愛しい彼女には見舞いには来てもらえないわ、また特に面白いこともないし、何もない貧しい自分の領地フィンガー岬へ、孤独に追い返されてしまうわ。おそらく、この時から彼の心の中には、愛憎半ばするケイトリンへの屈折した執着心と共に、無能なのに名門階級というだけで、自らは労せずして、いとも容易く名誉や地位や富を得ることができる人間達及びそんな封建社会への、激しい憎悪や敵意も、芽生えたのではないでしょうか?初めはジョン・アリンに税関内の閑職を与えられたのがきっかけとはいえ、この抜擢自体、やはり彼のそのすば抜けた優秀さが買われたゆえでしょうし、基本的に己の才覚だけで、国王の厚い信任を得て、王の小議会議員の一員、大蔵大臣、あそこまでのし上がることができるとは、なかなか並の人間にできることではありません。そう考えると、以前に彼がティリオンに対して、いわば名家目録のようなものを指して、そんな眠くなる程退屈なもののような台詞を吐いたのも、今思えば、意味深長に思えてきます。そしてその内に自分よりずっと身分の高い彼らより、実力だけでここまでのし上がった、彼からより本当はずっと賢い自分が、陰で思う存分、彼らの運命を操ってやるとでも、思うようになったのでは?ただ惜しむらくは、第一部の主要キャラ達の妻や母親であるにも関わらず、ケイトリンというキャラ自体に、あまり魅力がないことでしょうか。
私は基本的にスターク家の人々で特に嫌いだと思うキャラはいないんですが、ケイトリンだけは、以前からどうも好きになれなくて。気丈かと思うと実はそんなに強くもないし、子供が絡むとすぐ腰砕けになってしまうし、ティリオンの捕囚だって、精神不安定な妹の手紙を真に受けた、愚行としか言いようがないし、ついにはロブの足まで引っ張っちゃうし。このように、けして聡明な女性とは言えないし、他にも実の子のように思えとまでは言わないけれど、それにしても少し狭量過ぎるのではないのか?と思ってしまう、ジョンに対する態度とか。ロブが自分が万が一後継を残さないまま死んだ時のことを考えて、信頼する異母きょうだいのジョンを正式に嫡出子にして、自分の後継者としたいという計画を打ち明けた時も、他の子供達のこととか持ち出して、いかにも正当そうな反対理由を並べ立てているものの、露骨な夫の私生児のジョンへの嫌悪の気持ちから、全力でロブのこの計画を阻止しようとしてたのも、すごく嫌な感じでしたし。何でこんなにケイトリンって、嫌な感じがするのかなと考えてみたんですが、すごく強く感じる、どうも彼女の自分はとにかく善良な人間、善良な妻、母であり、自分はまちがったことはけしてしていないという、おそらく無意識だろうけれど、漂ってくる彼女の傲慢さや彼女の強い自己愛に基づくと思われる、何かと目立つ自己正当化みたいなものが、鼻につく感じなのかも。例えばリトルフィンガーが自分のために婚約者のブランドンと決闘して、そのために大怪我を負った時も、見舞い一つ、別れの挨拶一つさえしようとしなかった自身の冷淡さに対しても、父親の命令だからしかたない、そしてよりにもよって、格好の人質で取り引き材料であるジェイムを、娘のサンサ達を一刻も早く取り戻したいあまりに、手放そうとするような、これも愚策をロブに持ちかけた時も、これも子供を愛する母親なら当然みたいなものを感じてしまうし。
とにかく彼女って、ここまでリトルフィンガーが長い間、恋慕し執着し続ける程の魅力のある女性としては、説得力に欠ける所があるように思います。それに決闘後の彼に対しての彼女の態度も、やはり、いくら父親の命令だとはいえ、ちょっとひどくないか?と思いますし。自分のために命懸けで戦って大怪我をした彼のことを、見舞いにも行ってやらないとか、彼が怪我の回復後、体よく滞在先のタリー家の領地から追い払われた時でさえ、一言のお別れの挨拶すらもしてやらなかったとか。もしケイトリンがこの時リトルフィンガーにもう少し優しくしてあげれば、彼の中にも彼女とのことは、案外美しく悲しい恋の思い出として残り、その内にその想いも昇華されたかもしれないのに。でも私は彼はてっきりスターク一家を離散させた後、そのままケイトリンをエダードから奪い取りでもする気なのかと思ったこともあるのですが。しかし、ストレートにそういう方に行かず、彼女の娘の方のサンサの保護?利用?の方に行くとは。やはり、なかなか本音が見えにくい人物です。それからどうも一見彼の本命は、彼女の母親の方のケイトリンのように思えますが、何となく彼の言動から感じる印象としては、どうも単に今でも愛し続けている女性の娘だから、サンサも大切にしているというだけでは、ないようなものを感じてしまいます。
とはいえ、このようにいくら昔のケイトリンの薄情な仕打ちやタリー家からのすげない扱いがあったとはいえ、彼のやっていることは到底正当化できることではないと思うし、やっぱり悪人だよなとは思うのですが、それでもなぜか嫌いになれなくて、むしろけっこう好きだと思ってしまう。それからリサも哀れと言えば確かに哀れなんですが、初登場の時から既に何か人格崩壊のようなものが著しい感じの女性だったので、感情移入が難しいです。どうもケイトリンに対するような、このキャラどうも好きになれないというより、何かそれを通り越して、初めて見た時から、何かこの人怖いという感じだったので。ちょっとサイコ入ってる?みたいな。もうそろそろいい年齢になっている息子に、いつまでも母乳与えてたりとか。夫に忠実な家臣を、一切何の感情も見せず、ティリオン代理の傭兵ブロンとの戦いのために、完全に道具として平然と切り捨てたりとかしたりするし。それに嫉妬のためとはいえ、さすがにサンサを殺そうとするなど、行き過ぎなのでは?と思ってしまう所がありましたし。無理やりサンサと自分の虚弱なマザコン息子と結婚させようとするのも、いかがなものかと思うし。かつてのサーセイの馬鹿息子ジョフリーに対する盲愛と同じく、自分の息子のことを全然客観的に見ることができていないし。まあリサも年の離れた夫との不幸な結婚とか多くの流産とか、これまでの人生の中で、それなりにいろいろあったのでしょうが、何で姉が回想する所の、内気で優しく一途な美少女から、あんな怖い精神不安定な感じの中年女性に、一気に変貌してしまったのか?泣きながらリトルフィンガーへの愛と過去の苦しみを告白されても、やはり怖い、この人精神的にやばい、狂乱状態じゃんとしか思えなかったし。彼女が言う所の、リサと姉のケイトリンとリトルフィンガーとの過去話も、どこまで本当なのかもわからないし。自分はリトルフィンガーとずっと愛し合ってきたのにとか、完全に妄想入ってるし。姉に対する彼女のどす黒い憎悪と嫉妬にも、引くばかりだし。ケイトリンの回想の中の、少女時代の姿とのギャップがあり過ぎ。このようにあまりにも激し過ぎる感じの彼女の豹変とまさに狂恋と呼ぶに相応しい、リトルフィンガーへの狂い振りなど、そして姪のサンサに対する、やはり尋常でない行動など、彼女の行動や性格の整合性などに、やや説得力に欠ける点が、いろいろとあるような気がします。こういう風に、割と適当に人物設定を作られて、結果的にもリトルフィンガーとサンサを接近させるためだけの、作者にとって都合のいい使い捨てキャラにされただけのような。そういう意味でも、彼女は哀れではありますね。それから確かにリトルフィンガーにそそのかされた面もあるといえ、過去に最終的にああいう決断を下したのも、彼女自身ですし、リサ自身が全く悪くないとは、言いきれないと思います。哀れといえば哀れですが、自滅といえば自滅ですね。もしかして私って性格悪いのでしょうか?(笑)。ティリオンも、私が嫌いな人物ばかりのラニスター家の中では、好きな方のキャラですし。このリトルフィンガーについても、悪人だとは思いつつも、なぜか好きなキャラの一人だったりするし、その華麗な謀略にむしろ興奮させられるというか、一体次は何をやらかしてくれるんだろう?と期待にも似たものを、彼の行動に抱いてしまうこともあります。でも私も別に高潔で名誉を重んじるエダードも、けして嫌いではなかったですが。ただ、目前の名誉とか誓約などを重視し過ぎてしまった余り、大局的な考え方ができず、時流に乗り損なったかな?という人物にも、見えなくもない。それにいくらリトルフィンガーが好きとはいえ、私もおそらく彼はロクな死に方しないんだろうなと思っています。
やはり、この氷と炎の歌の世界の運命の神は、生前の行いの内容如何に関係なく、誰にでも等しく死や破滅をもたらすのだなあと感慨を深くしつつ。それまでの私にとっては、リトルフィンガーことピーター・ベーリッシュって、それまでは単に全く腹が読めなくて、これも腹黒さではひけを取らない、ティリオンとも丁々発止に渡り合える、得体の知れない、どこか不気味な人物という印象しかなかったのですが。しかし、物語の後々にも影響を及ぼしていくことになる、若い頃のケイトリンとの経緯を知ってから、一気に興味深く、かつどこか好きだと思ってしまうキャラの一人になってしまいました。まるでストーカーじゃんとかと、おそらく、よけいに引く人達もいるでしょうが。
でも私は結構弱いんですよね、一見世渡り上手の、けして自分の腹の内は誰にも開かさず、何事にも冷めた感じのシニカルなリアリストに
見えていて、実は意外と激しい情熱とか執着とか、その胸の裡にアンバランスな、いろいろなドロドロした情念を巧みに包み隠している、彼のようなキャラって。ケイトリンの言葉によると、昔はもっと情熱的かつ大胆で、なかなか活発な性格であったようですし。そしてこういう重層的で一筋縄ではいかない感じの人物造型も、この氷と炎の歌シリーズの魅力の一つだと思います。それにケイトリンの方も、口では既に当時エダードの兄ブランドンという婚約者もおり、またおそらく自分とは全然身分も釣り合わないし、そんな彼にこんな激しい想いを寄せられても困るわといいつつ、実際には彼女も満更でもなかったようで、いつも甘やかな、そして微かに心痛む感傷的な思い出として回想しているようだし。確かに、例え自分が愛している男性ではなくても、自分への愛のために、誰かが命懸けで戦ってくれるって、その男性がよほど不快な人物でもない限り、女性にとってはロマンだし、憧れるシチュエーションだと思うので。しかしこのように、彼女にとっては、彼とのことは娘時代の、甘く切なくほろ苦い思い出に過ぎなかったのでしょうが、おそらく、リトルフィンガーはブランドンとのあの命がけの決闘後、ホスター公父娘からすげなくされ、単に恋に敗れただけではなく、更に否応なく、厳しい現実にも直面させられたのでしょうね。幼い頃から養育先で、それこそ、実の姉弟同然に、ホスター公の美人姉妹と仲良くさせてもらってきたのに、ケイトリンへの求婚という、おそらく小領主の息子の、弁えるべき分際を踏み越えようとしてしまった途端、彼女のための決闘で大怪我を負っても、愛しい彼女には見舞いには来てもらえないわ、また特に面白いこともないし、何もない貧しい自分の領地フィンガー岬へ、孤独に追い返されてしまうわ。おそらく、この時から彼の心の中には、愛憎半ばするケイトリンへの屈折した執着心と共に、無能なのに名門階級というだけで、自らは労せずして、いとも容易く名誉や地位や富を得ることができる人間達及びそんな封建社会への、激しい憎悪や敵意も、芽生えたのではないでしょうか?初めはジョン・アリンに税関内の閑職を与えられたのがきっかけとはいえ、この抜擢自体、やはり彼のそのすば抜けた優秀さが買われたゆえでしょうし、基本的に己の才覚だけで、国王の厚い信任を得て、王の小議会議員の一員、大蔵大臣、あそこまでのし上がることができるとは、なかなか並の人間にできることではありません。そう考えると、以前に彼がティリオンに対して、いわば名家目録のようなものを指して、そんな眠くなる程退屈なもののような台詞を吐いたのも、今思えば、意味深長に思えてきます。そしてその内に自分よりずっと身分の高い彼らより、実力だけでここまでのし上がった、彼からより本当はずっと賢い自分が、陰で思う存分、彼らの運命を操ってやるとでも、思うようになったのでは?ただ惜しむらくは、第一部の主要キャラ達の妻や母親であるにも関わらず、ケイトリンというキャラ自体に、あまり魅力がないことでしょうか。
私は基本的にスターク家の人々で特に嫌いだと思うキャラはいないんですが、ケイトリンだけは、以前からどうも好きになれなくて。気丈かと思うと実はそんなに強くもないし、子供が絡むとすぐ腰砕けになってしまうし、ティリオンの捕囚だって、精神不安定な妹の手紙を真に受けた、愚行としか言いようがないし、ついにはロブの足まで引っ張っちゃうし。このように、けして聡明な女性とは言えないし、他にも実の子のように思えとまでは言わないけれど、それにしても少し狭量過ぎるのではないのか?と思ってしまう、ジョンに対する態度とか。ロブが自分が万が一後継を残さないまま死んだ時のことを考えて、信頼する異母きょうだいのジョンを正式に嫡出子にして、自分の後継者としたいという計画を打ち明けた時も、他の子供達のこととか持ち出して、いかにも正当そうな反対理由を並べ立てているものの、露骨な夫の私生児のジョンへの嫌悪の気持ちから、全力でロブのこの計画を阻止しようとしてたのも、すごく嫌な感じでしたし。何でこんなにケイトリンって、嫌な感じがするのかなと考えてみたんですが、すごく強く感じる、どうも彼女の自分はとにかく善良な人間、善良な妻、母であり、自分はまちがったことはけしてしていないという、おそらく無意識だろうけれど、漂ってくる彼女の傲慢さや彼女の強い自己愛に基づくと思われる、何かと目立つ自己正当化みたいなものが、鼻につく感じなのかも。例えばリトルフィンガーが自分のために婚約者のブランドンと決闘して、そのために大怪我を負った時も、見舞い一つ、別れの挨拶一つさえしようとしなかった自身の冷淡さに対しても、父親の命令だからしかたない、そしてよりにもよって、格好の人質で取り引き材料であるジェイムを、娘のサンサ達を一刻も早く取り戻したいあまりに、手放そうとするような、これも愚策をロブに持ちかけた時も、これも子供を愛する母親なら当然みたいなものを感じてしまうし。
とにかく彼女って、ここまでリトルフィンガーが長い間、恋慕し執着し続ける程の魅力のある女性としては、説得力に欠ける所があるように思います。それに決闘後の彼に対しての彼女の態度も、やはり、いくら父親の命令だとはいえ、ちょっとひどくないか?と思いますし。自分のために命懸けで戦って大怪我をした彼のことを、見舞いにも行ってやらないとか、彼が怪我の回復後、体よく滞在先のタリー家の領地から追い払われた時でさえ、一言のお別れの挨拶すらもしてやらなかったとか。もしケイトリンがこの時リトルフィンガーにもう少し優しくしてあげれば、彼の中にも彼女とのことは、案外美しく悲しい恋の思い出として残り、その内にその想いも昇華されたかもしれないのに。でも私は彼はてっきりスターク一家を離散させた後、そのままケイトリンをエダードから奪い取りでもする気なのかと思ったこともあるのですが。しかし、ストレートにそういう方に行かず、彼女の娘の方のサンサの保護?利用?の方に行くとは。やはり、なかなか本音が見えにくい人物です。それからどうも一見彼の本命は、彼女の母親の方のケイトリンのように思えますが、何となく彼の言動から感じる印象としては、どうも単に今でも愛し続けている女性の娘だから、サンサも大切にしているというだけでは、ないようなものを感じてしまいます。
とはいえ、このようにいくら昔のケイトリンの薄情な仕打ちやタリー家からのすげない扱いがあったとはいえ、彼のやっていることは到底正当化できることではないと思うし、やっぱり悪人だよなとは思うのですが、それでもなぜか嫌いになれなくて、むしろけっこう好きだと思ってしまう。それからリサも哀れと言えば確かに哀れなんですが、初登場の時から既に何か人格崩壊のようなものが著しい感じの女性だったので、感情移入が難しいです。どうもケイトリンに対するような、このキャラどうも好きになれないというより、何かそれを通り越して、初めて見た時から、何かこの人怖いという感じだったので。ちょっとサイコ入ってる?みたいな。もうそろそろいい年齢になっている息子に、いつまでも母乳与えてたりとか。夫に忠実な家臣を、一切何の感情も見せず、ティリオン代理の傭兵ブロンとの戦いのために、完全に道具として平然と切り捨てたりとかしたりするし。それに嫉妬のためとはいえ、さすがにサンサを殺そうとするなど、行き過ぎなのでは?と思ってしまう所がありましたし。無理やりサンサと自分の虚弱なマザコン息子と結婚させようとするのも、いかがなものかと思うし。かつてのサーセイの馬鹿息子ジョフリーに対する盲愛と同じく、自分の息子のことを全然客観的に見ることができていないし。まあリサも年の離れた夫との不幸な結婚とか多くの流産とか、これまでの人生の中で、それなりにいろいろあったのでしょうが、何で姉が回想する所の、内気で優しく一途な美少女から、あんな怖い精神不安定な感じの中年女性に、一気に変貌してしまったのか?泣きながらリトルフィンガーへの愛と過去の苦しみを告白されても、やはり怖い、この人精神的にやばい、狂乱状態じゃんとしか思えなかったし。彼女が言う所の、リサと姉のケイトリンとリトルフィンガーとの過去話も、どこまで本当なのかもわからないし。自分はリトルフィンガーとずっと愛し合ってきたのにとか、完全に妄想入ってるし。姉に対する彼女のどす黒い憎悪と嫉妬にも、引くばかりだし。ケイトリンの回想の中の、少女時代の姿とのギャップがあり過ぎ。このようにあまりにも激し過ぎる感じの彼女の豹変とまさに狂恋と呼ぶに相応しい、リトルフィンガーへの狂い振りなど、そして姪のサンサに対する、やはり尋常でない行動など、彼女の行動や性格の整合性などに、やや説得力に欠ける点が、いろいろとあるような気がします。こういう風に、割と適当に人物設定を作られて、結果的にもリトルフィンガーとサンサを接近させるためだけの、作者にとって都合のいい使い捨てキャラにされただけのような。そういう意味でも、彼女は哀れではありますね。それから確かにリトルフィンガーにそそのかされた面もあるといえ、過去に最終的にああいう決断を下したのも、彼女自身ですし、リサ自身が全く悪くないとは、言いきれないと思います。哀れといえば哀れですが、自滅といえば自滅ですね。もしかして私って性格悪いのでしょうか?(笑)。ティリオンも、私が嫌いな人物ばかりのラニスター家の中では、好きな方のキャラですし。このリトルフィンガーについても、悪人だとは思いつつも、なぜか好きなキャラの一人だったりするし、その華麗な謀略にむしろ興奮させられるというか、一体次は何をやらかしてくれるんだろう?と期待にも似たものを、彼の行動に抱いてしまうこともあります。でも私も別に高潔で名誉を重んじるエダードも、けして嫌いではなかったですが。ただ、目前の名誉とか誓約などを重視し過ぎてしまった余り、大局的な考え方ができず、時流に乗り損なったかな?という人物にも、見えなくもない。それにいくらリトルフィンガーが好きとはいえ、私もおそらく彼はロクな死に方しないんだろうなと思っています。
大河のうた 《IVC BEST SELECTION》 [DVD]
インドの名匠サタジット・レイ監督のオプーApu三部作の二番目の作品。102分の白黒映画。完結しているので、前作を見なくても、この作品だけを見るのも良いができれば一作目の大地のうたをみてから鑑賞したい。また、前作を見た人には必見で、二つの作品を連続した一つの作品と見ても違和感はない。オプー三部作といわれるが、この作品の主役は母親役のコルナ・バナージで、前作同様、貧しい家庭に耐える母親を好演。父親も前作と同じカヌ・バナージ(三人のバナージ姓の俳優に血縁関係はなし)。オプーは、成長が描かれるので、前回(シュビル・バナージ)とは違う二人の俳優(ピナキ・セン・グプトとスマラン・ゴジャール)が演じているが、3人ともよく似ているので、本当に一人の人間の成長をみているかのような印象。テーマは母と息子の愛で、コルカタの学校で学ぶために母親の下を離れるかどうかで母子の葛藤があるが、これは貧富に関係なく現代にも共通するテーマ。二人とも理想の人物という描かれ方ではないが、それだけに等身大の美しく微妙な母子の愛情が描かれている。前作が美しい田園風景であったが、本作のみどころはガンジス河の川岸の階段(ガート)、田園の中を煙を吐いて走る汽車(前作の汽車のシーンを喚起させる)、夜の蛍などだが、絵画のような美しさであった前作の魅力には及ばない。ヴェネツィア国際映画祭で、続編として金獅子賞を受賞したのは本作のみ。映画史に残る三部作の一つとして満点以外にはつけられない作品。
大地のうた [DVD]
ビットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』に
触発されて作られたという本作は、
20世紀の初め頃、
インドの西ベンガルにある寒村に住む
赤貧にあえぐ一家族の日常を、
ドキュメンタリータッチで淡々と描いていく。
『せめて1日2回の食事と、年に2着の服が買えたら』と
嘆く母親のささやかな希望には、
嘗て『清貧の思想』という本に群がった、
何不自由ない飽食の時代に生きる日本人に、
清貧が美徳だなんて戯言を言わせない重みがある。
本作の中核をなすのは、
主人公オプー少年の姉と伯母の死だ。
老いた伯母は、林の中で落ち葉のように枯死していき、
肺炎を患った姉は、風雨吹き荒れる嵐の夜に、
天の怒りを鎮めるための生贄の如く静かに息絶えた後、
姉は蜘蛛に、おばは蛇に生まれ変わって、
愛着の地で新たな命を得る。
サタジット・レイ監督は、輪廻転生と言う死生観を下地に、
生きとし生けるものの命の連なりを、
西ベンガルの自然を通して描くことで、
人を本来あるべき自然の中に回帰させる。
命が軽んじられ、形の見えなくなった死が蔓延する
現代社会の中で、生きる事の意味を見失った人に、
57年前に作られた本作をお薦めしたい。
触発されて作られたという本作は、
20世紀の初め頃、
インドの西ベンガルにある寒村に住む
赤貧にあえぐ一家族の日常を、
ドキュメンタリータッチで淡々と描いていく。
『せめて1日2回の食事と、年に2着の服が買えたら』と
嘆く母親のささやかな希望には、
嘗て『清貧の思想』という本に群がった、
何不自由ない飽食の時代に生きる日本人に、
清貧が美徳だなんて戯言を言わせない重みがある。
本作の中核をなすのは、
主人公オプー少年の姉と伯母の死だ。
老いた伯母は、林の中で落ち葉のように枯死していき、
肺炎を患った姉は、風雨吹き荒れる嵐の夜に、
天の怒りを鎮めるための生贄の如く静かに息絶えた後、
姉は蜘蛛に、おばは蛇に生まれ変わって、
愛着の地で新たな命を得る。
サタジット・レイ監督は、輪廻転生と言う死生観を下地に、
生きとし生けるものの命の連なりを、
西ベンガルの自然を通して描くことで、
人を本来あるべき自然の中に回帰させる。
命が軽んじられ、形の見えなくなった死が蔓延する
現代社会の中で、生きる事の意味を見失った人に、
57年前に作られた本作をお薦めしたい。
大地の詩
作曲 高橋宏樹 (Hiroki Takahashi) Fl.1&Picc./ Fl.2/Flex.1(Fl.Ob.B♭Cl.)/B♭Cl.1-2/ A.Sax.1-2/T.Sax./Flex.2(Bsn.BsCl.B.Sax)/ ...
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