ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)
「ジーキル博士とハイド氏」という言葉が、二重人格を表す言葉として辞書に載っていることだけを挙げても、この作品が後世に与えた影響の大きさがわかるのだが、どうも作品を語る上で、この二重人格という言葉が一人歩きしているような気がしてならない。
内面に邪悪な心を抱える人格者のジーキル博士は「自らの意志で」あるクスリを飲みハイド氏に変身するのである。単なる二重人格者とはいえないだろう。
もっとも、この作品が発表された当時の医学には多重人格という定義もなく、「自らの意志」でハイド氏に変身するというのは、やむを得ない設定だったのかもしれないが、結果的に、この設定があるから「善」と「悪」という一人の人間の持つ二面性が鋭く抉り出されることになったのではなかろうか。
物語自体は単純で約100ページと短いが内容は非常に濃い。そして「二重人格」という言葉だけで語られる作品ではない。
しかし、「二重人格」という言葉があまりにも有名すぎるため、いわゆる「怪奇小説」としてのインパクトはあまりない。有名すぎるが故の不幸か…
ジキル博士とハイド氏 (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】 [DVD]
1932年と1941年の二つの作品が楽しめる。両方とも白黒で今から見ると9年の違いにかかわらずどっちもかなり古い映像なのだけれど、見比べる面白さはある。
基本的なストーリーは、ちょっと変わった科学者が、人間の悪の部分を強調させてしまう薬を開発。悪の部分を出現させるだけでなく、見た目もぜんぜん変わってしまう。
若いロンドン紳士と美しいレディの平和な結婚話から始まって事態はどんどんとエスカレートしていき、最後のアクションと悲劇へと展開していくという非常に見世物的要素の強い映画。当時の女性観客がまゆをひそめながら驚きの声をあげる様子が想像できる。
紳士としてのしがらみに抑圧され、たまにはあばずれ女とはめをはずしたいという気持ちが背景にあり、これの映画を見ている一般庶民は、「紳士ってやつも退屈だ。一般庶民が気楽でいいや」とさぞかし思ったことだろう。そんなところにこの作品の人気の秘密があるのかもしれない。
さて、僕がこの映画を見た理由は、ほかでもないイングリッド・バーグマンが汚れ役をやっているからである。裸にされ、馬車の馬にされて、鞭うたれるという(想像のシーンだけだが)、とんでもない役だ。ところが、彼女は、あばずれ女を演じるには品がよすぎたようで、32年の作品の女優のほうが役としてははまっている。
比較の話でいうと、ハイド氏も32年のほうが、猿の化け物のようでコワ面白い。41年のハイドは特に見た感じ化け物という感じはない。
ジキル博士とハイド氏 (まんがで読破)
一般的に“表と裏”があると良い、ないと悪いという世間のイメージがあると思います。実際わたしもそのイメージを持っていて、自分のそういう部分に気づいて自己嫌悪することがあったりと、なるべく“表と裏”をなくそうと意識していました。そのような考えの中この本を読みました。
ジーキル博士は自分の中に異なる性格(ここでは善と悪)が同居しているのを認め、そのことが許せません。そこでジーキル博士は薬により悪の人格であるハイドと言うキャラクターになることができるようになります。つまり性格一つずつを特化させることで全体のパフォーマンスを向上させようとするわけです。しかしジーキル博士はそれまでの固有の心のバランスが崩れていき、最後にはハイドという裏の性格に飲み込まれてしまいます。たとえ裏となる性格でも心のバランスのためには必要なのかもしれません。
ジキル&ハイド
私の趣味だと今までにあった原作に忠実なジキル博士とハイド氏が好きですが、視点を変えてのこちらも悪くなく、面白いと思いました。ジュリア・ロバーツの奉公人の女性が、主人のジキル博士に惹かれていきます。ハイド氏にも・・・。ぎょっとしましたが、なにか微妙にわかる気がしてどきどきしました。ジキルからハイドに変身していく様はとてもよく出来ていて感心感心~、何度も巻き戻してスロー再生で見ました。
ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)
「ジーキル博士とハイド氏」という言葉が、二重人格を表す言葉として辞書に載っていることだけを挙げても、この作品が後世に与えた影響の大きさがわかるのだが、どうも作品を語る上で、この二重人格という言葉が一人歩きしているような気がしてならない。
内面に邪悪な心を抱える人格者のジーキル博士は「自らの意志で」あるクスリを飲みハイド氏に変身するのである。単なる二重人格者とはいえないだろう。
もっとも、この作品が発表された当時の医学には多重人格という定義もなく、「自らの意志」でハイド氏に変身するというのは、やむを得ない設定だったのかもしれないが、結果的に、この設定があるから「善」と「悪」という一人の人間の持つ二面性が鋭く抉り出されることになったのではなかろうか。
物語自体は単純で約100ページと短いが内容は非常に濃い。そして「二重人格」という言葉だけで語られる作品ではない。
しかし、「二重人格」という言葉があまりにも有名すぎるため、いわゆる「怪奇小説」としてのインパクトはあまりない。有名すぎるが故の不幸か…