田代まさしのプリンセスがいっぱい
『田代まさしのプリンセスがいっぱい』。
……。今になって思えばなかなか考えさせられるタイトルですね。
ファミコンで発売されたアクションゲーム。魔女の手により囚われの身となった姫を救い出すため、なぜか田代まさしが、なぜかヨーヨーを武器に敵地に突入するというかなりシュールな舞台設定。妖精から救出依頼を受けた田代氏は二つ返事で 「いく!いく!プリンセスがいるところならどんなとこでもいっちゃう!」…。これはゲーム史に残る名セリフと言えるでしょう(嘘)。
"プリンセスがいっぱい"なのは彼の幻視によるものではなく、救出対象の姫が4人いるからです(シンデレラ姫とか人魚姫とか)。この4人の姫について、一般公募でそれぞれのイメージにふさわしい4人のモデルを選出する、というミスコンも開催され当時話題を集めていましたっけ。そこで選ばれた"姫"4人は何とヨゥ女ばかり。…ゲームと現実を混同してはいけませんが、田代氏はプリンセスにどんな見返りを求めて救出に向かったのかいろいろ心配になります。
ゲーム自体はとてもつまらない。だがまあネタとして手元に置いとく価値はあるかもしれません。
すでに起こった未来―変化を読む眼
ドラッカーの、13本の論文集。原著'WThe Ecological Vision − Reflections on the American Condition'W 1993.の中から、1946年から1992年にかけて発表された「社会生態学者の仕事」を抜粋編集。翻訳は、上田さんと他に佐々木実智男・林正・田代正美の皆さん。
日本語タイトル『すでに起こった未来』は、著者と相談の上決めたそうだが、今でも良い響きを持つ。「すでに起こってしまい、もはや元に戻ることのない変化、しかも重大な影響力を持つことになる変化」(pp.313−314.)を知覚し、分析することの重要さ、を各章に「読んで楽し」(p.2)く端的に著す。
第4章シュンペーターとケインズ(1983発表)では、「有効性を失ったケインズ経済学」に触れる。これまで、経済学の根井雅弘氏の書いた『シュンペーター』講談社、2001.で、シュンペーターを「ケインズの登場で、『世界一の経済学者』になる夢をくじかれたが、没後五十年を過ぎても『偉大な経済理論化』という評価は定着しなかった」(p.8)、と悲劇的な生涯を断定する評価に疑いがあった。しかし、本書を先に読んでいれば、惑うこともなかった。
また、第11章日本画に見る日本(1979発表)では、日本の歴史、文化や制度面に対するドラッカーの造詣の深さを知る。日本文化を弁証法ではない「二極性の緊張」と見る目をもって解釈する。日本画をもって、わが国の10世紀以降の特性を知覚・構図・位相・形態であると問うてくる。並みの日本人ではかなわぬ。いやいや、われわれが分かっていないのだ。外国人留学生は、自国の歴史や産業、社会など実によく学んでいる。われわれは、あまりにも自国のことに関し無知である。
目次は部・章だけ。索引なし。参考文献は本文中のみ。ひもあり。
志村けんのだいじょうぶだぁ BOXI だっふんだ編 [DVD]
今回のDVD発売は、低迷しきった日本のお笑い界にとって、まさに蜘蛛の糸にも似た、光明と言える。 先ずは、田代まさし氏の『復帰』が、謝罪という形であれ、御大・志村けんに認知された点を挙げる。 テレビをはじめとするマスコミにも注目された出所会見後、田代氏は、動画サイトで自分の番組(コーナー)を立ち上げたり、雑誌のインタビュー等に登場するなどの「リハビリ」を続けてきた。 ネットを中心とする氏のファンは、晴れて公の場で、今は昔の小道具を用いたギャグや、ふとした事をダジャレに結びつける才能に、自分達が望んでいた「お笑い」を、懐かしくも再確認出来た。 御大・志村けんについては、長文を割く必要はない。 強いて挙げるとすれば、田代氏が隣にいた頃の、ある意味破滅的なライフスタイルから遠のき、舞台に立ったり、年齢と共に動物と健康にオタクと呼べるまでの知識を得た、「何処に出しても恥ずかしくない」、まろやかなる壮年タレントとして、現代を生きている。 ある意味、置き去りにされた、田代まさし。 そして、時代の移り変わりに、文字通り変化した志村けん。 次に、およそ10年ぶりとなる邂逅の発端が、どちらからだと憶測すれば、そこには荒廃した日本お笑い界を憂うコメディアンと、自身の必要性を傍観し、リハビリという名目で暖機運転を繰り返していた、元犯罪者の心理が結びつく。 時代は、田代まさしを必要としている。 そして、今回のDVD発売を機に、来年には「バカ殿」の、優香やダチョウ倶楽部も必要ない、全盛期の映像も世に放たれるだろう。 また、コントを含めているとはいえ、20年以上も前のバラエティー番組がDVD化された事で、ウッチャンナンチャンの『ウリナリ』等、かつての視聴者が、真に面白がった番組を、映像メディア商品として、再び世に表す事も夢物語ではなくなった。 最後に、圧力や製作者が『面白く』作る番組が、「面白い」とされる現代の日本で、視聴者が『面白い』と感じた、「面白い」昔の番組が、DVDに開放された事で、日本お笑い界は、海底の泥や芥から、もう一度水面を目指せる光明を掴み取った。 既に死に体、終わったと思った文化に、息吹きが宿りそうなのだ。 その結末と同時に、志村けん、鈴木雅之両氏に「許された」、田代まさし氏の今後の活躍を、期待せざるをえない。
未来への決断―大転換期のサバイバル・マニュアル
変化という言葉が、継続という言葉よりも価値があるように思えて来たのはいつ頃からだろうか。良く考えてみれば変化しないものやことがらなどどれだけあろうか。今というこの一瞬でさえ、すでにないのである。
訳者あとがきに、未来はかくあれかしと今日決断し今日行動すべき対象である、と述べておられる。また、序文においてドラッカーは、次のように解説する。未来を予測しようとする章は一つもない、未来を迎えるためにはどうしたらよいのか、今日の変化を解釈し、何を、なぜ、いつ、いかに行うべきかを知ることである。未来を容易に作り出すための決断を促すことが本書の目的である。意思決定は行動の確約であり、行動は常に現在に属する、と。
私たちは、すでに学校で「諸行無常」を読み、「荒城の月」を歌ってきている。草木のように一部始終を見ることは、できない。あるのは今である。
製品と情報に触れた点に関して、もっともな印象をひとつ。製品は、消費を変えるだけであり、生活の仕方を変え、世界に対する見方を変えるものである。だが情報は、想像力を変え、夢の見方を変え、自身に対する見方を変えることができる(p.374)。自由な市場経済が機能しなければ、私たちはそのどちらも目にすることはできないだろう。ドラッカーは、市民社会が存在しなければ市場経済は機能し得ないと述べる。基本的な変化の最初の兆候が、組織の内部や、その顧客に現れることはまずない。顧客以外の人たちのほうが顧客よりも常に多い(p.39)。顧客志向は大事だが市場志向とはどのようなことかを学ぶ必要がある。
今、行なっていなければ決して手をつけないような活動(p.329, 344)というものは、個人についても考え直してみたほうがよかろう、か。
目次、部章まで。索引なし。参考文献、本文中に何点かあり、原著名と邦訳の有無を注記するくらいの訳者の骨折りが欲しかった。ひもあり。
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私は21歳ですが、'70〜'80年代の楽曲が好きです。シャネルズ・ラッツ&スターを知ったのは幼稚園のくらいでした。まだ「CDを買う」なんて頭にない頃ですよ...。今回は「ゴスペラッツ」の活動(黒塗りのCM)を受けて、「あぁっ!TheBossがっ!!やっぱし全てはTheBossだ!」と思い、このCDも購入しました☆「ついで」といってしまえばそうなってしまうのですが、きっかけはソレでした。小さい頃に好きだった曲をやっと手に入れることができたのが嬉しくて♪「め組の人」が一押しです!「Tシャツに口紅」、「ランナウェイ」聴いても歌っても癒されるし楽しめると思います!世代の方には懐メロでもあり、若い方には新鮮でもあり、ラッツ&スターの素晴らしさを改めて知る事が出来る作品です(#^.^#)