史上最強の人生戦略マニュアル
直訳を否定するつもりはないが、直訳でも、こなれた日本語でする「よい、つまり、読みやすく分かりやすい直訳」とそうでない直訳がある。この本の直訳は後者であり、読みにくく、分かりにくい箇所がけっこう目に付き、読むペースをたびたび邪魔され不快だった。正直、翻訳の仕事は、英語が多少できるくらいではできないくらいの特殊技能なのだなあ、と痛感させられた。
勝間さんには翻訳は難しいと思う。勝間さん自身の日本語の本での文章のキレを知っているだけに、残念だった。
さらに厳しいことを言えば、細切れの時間で、やっつけ仕事的に片付けた、という印象を受ける。細かな部分は、訳が意味不明でも仕方がない、という意図が透けて見えた。時間管理は結構なことで、私も勝間本で実践しつつあるが、この点が増大すれば、勝間さんの人気は急降下しうるので、そういうことがないよう、ファンの1人として指摘しておきたい。
おそらく、勝間さんは、いったん翻訳ソフトで訳してから、多少修正して原稿をあげたのではないか。そうでなければこのようなあまりに不自然で長いページにわたる訳は出てこない。。出版社サイドも編集者がその点に気がつかないはずはないが、ベストセラー作家の勝間さんを怒らせてはビジネスにならないので、見て見ぬふりでそのままで刊行した。この推理はかなり当たっているだろう。
とりあえず、もう1人の日本語訳を買ってみようと思う。
この本の内容自体は、くどく、部分的に「競争」「勝者」というどうでもいいフレーズが気にいらない(勝つ、という表現も嫌いだし、仮に戦うとしても、自分との戦いに勝てばいいだけ、というのが私の考え)、all or nothingの表現が多く教祖チックにふるまう多少うさんくさい部分がある、心がうつ気味の人はさらに悪化しうる厳しい内省を求めてくる、などの難点もあるが、使える部分も多いので、部分的に何回も読む&実践はおすすめできます。
眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎
謎の病原体「プリオン」解明までの推理小説風のドキュメントである。巻末の「訳者あとがき」にはメディカル・ミステリーとあった。
話は、イタリア北部の小さな町にすむ一族を次々と襲う致死性家族性不眠症から始まる。この病気と、イギリスで蔓延したスクレイピー、パプアニューギニアのクールー病の三つの糸が、やがて一つに結びつけられる。病原体として、それまでの医療の常識を越えたタンパク質が疑われ、徐々にその状況証拠が固まっていく。
本書で活躍するガイジュシェックもプルジナーも、この病気の解明に関わったノーベル賞受賞者なのだが、表も裏もきわめて人間くさく描かれており、アメリカ人ジャーナリストらしい人物中心の話の展開である。
全体のスピード感もあり、ドキュメントの佳作といえる。
もう牛を食べても安心か (文春新書)
「もう牛を食べても安心か」という問いに対しては、この本は、「大丈夫かどうかわからない、つまり安心ではない」と答えているだけですが、その問に対して答える過程で、「生きているとはどういうことか」「人間とは何か」という深淵な問いに答えてしまっている驚異の本です。福岡先生は、「生きているとはどういうことか」という問いには、「タンパク質の動的平衡状態そのものが"生きている"ということと同義であるp.69」と回答し、「人間とは何か」という問いに対しては、「分子のレベル、原紙のレベルでは、私たちの身体は数時間のうちに入れ換わっており、「実体」と呼べるものは何も無い。そこにあるのは流れだけなのである。P.56」「記憶とは、一言で言えば、ある特別な体験に際して、脳の神経細胞ネットワークの中を駆けめぐった電気信号の流路のパターンが保持されたものだということだ。p.140」と答え、人間とは「分子・原子と電気信号の流れ」なのだと説明されています。福岡先生は、その「流れ」を壊すとして、遺伝子組み換え、臓器移植を批判しています。これだけ科学的かつ根本的な「遺伝子組み換え」に対する反論は拝見したことがありません。遺伝子組み換え反対運動家は研究者を「悪魔」と罵るのではなく、こういう本を読んで冷静に科学的に説得力を持った意見を言って欲しいです。また、これだけ体系だった無神論的生命論も希だと思います。内田樹先生の「私家版・ユダヤ文化論」の注で引用文献とされていたので読みましたが、思わぬ衝撃本に巡り会ってしまいました。キリスト教徒で遺伝仕組み換え賛成の私としては、人に勧めるのは気が進みませんが、やはり多くの人に読んでもらいたい本です。